京谷和幸

ジェフ市原所属のJリーガーとして活躍し、オリンピック候補にも選ばれたことのある京谷和幸さん。22歳のときに交通事故に遭ったことがきっかけで車椅子生活となり、前向きになれない時期が続きましたが、偶然のある出会いがきっかけで車椅子バスケを始め、4大会連続パラリンピックに出場するまでのトップアスリートになりました。京谷さんはどのようにして失意の事故から復活を遂げたのか。そして、さまざまな苦難を経てたどり着いた、京谷さんが考えるリアルチャンピオンとは?

Profile

京谷和幸(車椅子バスケットボール)
きょうやかずゆき
2000年シドニーパラリンピック 日本代表
2004年アテネパラリンピック 日本代表
2008年北京パラリンピック 日本選手団の主将として出場
JADAアスリート委員
2013-05-10

kyoya_photo1バルセロナオリンピック代表候補選出 高校選手権優秀選手など輝かしい実績を残し、サッカー選手としての将来を嘱望されていた京谷さん。しかし、ジェフ市原に所属していた22歳のとき、交通事故により車椅子の生活となり、現役引退を余儀なくされました。

京谷:事故後には、やはり葛藤が相当ありました。できないことの方が多くなり、できることが見つからないという状態でしたから。事故直後に結婚した妻のためにも、何とか社会復帰して生活を立て直さなければいけないと焦っていましたね。

転機は事故の3か月ほど後のこと。妻が障害者手帳の手続きのため浦安市役所を訪れた際、たまたま受付をしていた車椅子バスケの関係者から競技のことを聞いたのです。その後、京谷さんはそのことを伝え知ったのですが、初めは乗り気にはなれなかったと言います。

京谷:「障害者スポーツなんて」という感覚が、自分の中にあったんです。でも、サッカーではある程度、トップのレベルでプレーしていたので、「いまさら車椅子バスケをしてもトップにはなれないんじゃないか」というのが本音だったのかもしれません。それを隠すために車椅子バスケを遠ざけていたんだと思います。

しかし、誘われて国体の試合に帯同したときに見たプレーの迫力や戦略の緻密さに感銘を受け、「もう一度、自分が輝ける場があるかもしれない」と思い始めた京谷さん。ついに周囲に対して、車椅子バスケへの挑戦を宣言することになります。

京谷:自分の結婚式のときに、「サッカーをしていない京谷は京谷ではない」というような雰囲気を周囲から感じたんです。だから、まだパラリンピックという言葉も知らず、競技も始めていなかったのにもかかわらず、「車椅子バスケでオリンピックを目指すから応援してくれ」と宣言しました。また、サッカー選手時代に一緒に戦った仲間から日本代表への思いを聞くうちに、日の丸を背負って戦うことへの憧れが膨らんできた時期でもありました。

人がやりたがらない練習に取り組み日本代表に

kyoya_photo2そうして、京谷さんは車椅子バスケに本格的に参入。競技用の車椅子を早速購入し、練習に打ち込んでいきます。もちろん、初めは戸惑いもありましたが、サッカーで培ったプレー勘を元に、めきめきと上達していきました。

京谷:どうしたら日本代表になれるかを考えたとき、人と同じように練習しても人と同じような選手にしかなれないというのはサッカーをしていた経験からわかっていたので、「ディフェンスのスペシャリストになろう」と目標を定めたんです。そのためには、1センチ角度が違うだけで転んでしまうこともある競技用の車椅子を、自分の足のように自在に操作する技術が必要になります。20キロの重りをつけて坂道を登るなど、かなり厳しいトレーニングをしましたね。でも、そういった人がやりたがらない練習に一生懸命取り組んだからこそ、今の自分があると思っています。また、サッカーでは司令塔をしてゲームを組み立てていたので、その経験がディフェンスの読みに繋がりました。

そして、2000年には、念願のシドニーパラリンピックに出場。その後、アテネ、北京、ロンドンと四大会出場を果たし、北京では日本選手団の主将も務めました。その都度、特別な思いで臨んだオリンピックでしたが、特に印象深かったのは最後に出場したロンドンだったと言います。

京谷:実は北京が終わった後、代表から引退することを決めていたんです。でも、ジェフ市原のOB会に参加した時に、南アフリカWカップのGKコーチである加藤好男さんから、「まだ出来ると思っているならやるべきだ。お前が頑張ることが一番の社会貢献になる」と言われてハッとしました。それまで、何かに貢献できるという思いで競技をしたことがなかったので、「なんて自分は駄目な奴なんだ」と。41歳でパラリンピックに出場すればバスケでは最年長だと聞いていましたし、自分が挑戦することで、少しでも「人生を前向きに過ごそう」と思ってくれる人がいるならば、その人たちのために頑張ろうと。だから、ロンドンは今まで応援してきてくれた全ての人のために戦いました。

そんな京谷さんが考える「リアルチャンピオン」とは?

京谷:スポーツは心技体が必要だと言われますが、試合に勝つために必要なスキルとしての「心」ではなくて、もっと社会全般で通じる「人間力」を持った人がリアルチャンピオンだと思います。トップアスリートになればなるほど、支えてくれる人や応援してくれるファンが増えますが、そういう人にも目を向ける人間力がなければ競技には勝てないんです。そのためには、まずは自分自身を信じて競技に一生懸命取り組むこと。そうすれば、さまざまな人を引き寄せ、出会いが生まれ、人間的に成長するきっかけを与えてもらうことにつながります。ドーピングなんかに手を出してしまうと、そんな出会いにも恵まれませんし、応援してくれる人を裏切ることになってしまいます。特に障害者スポーツは治療のために薬を飲まなければいけない選手も多いので、周りの支えが必要です。

引退した現在は、サッカー指導者の道を目指して新たな一歩を踏みだしている京谷さん。「車椅子バスケとサッカーを切り離すのではなく、バスケもサッカーも全てが自分と繋がっている。そういう経験を若い世代に伝えていければ」と話す京谷さんのさらなる活躍が楽しみでなりませんね!